この部屋は山本君、通称山猫君の為に開放しました。いやー管理者伊藤の太っ腹!さあ、お好きにお使い下さいませ。
イエス コンサート1998年10月14日 大阪厚生年金大ホール
ルカサー、カールトン1998年 11月21日(土)21時
開演 大阪ブルーノート
これでもう何回目かのコンサートだろう?1975年8月2日から3日かけての、13歳ときの静岡県つま恋多目的広場での、オールナイトコンサートから始まって、来月には37歳になるいまでも、やっぱり拓郎と生きている。24年変わらずに、ずっと追いかけている。
拓郎のすべての曲を聴いている。そして、今も年間の聴く音楽のトップは拓郎である。
なんでなんだろう?
香港にいた時期は拓郎のコンサートにいく為に一度だけ帰国しただけで、6年半のうちに行われたコンサートツアーを計算すると3回は逃した。その復讐戦もかねて、このツアーは大阪2回とも行こうとした。
ところがである。一日分しか初め取れなかった。2時間でチケットが売り切れてしまったのである。
尋常じゃない。70年代、80年代ならまだしも、90年代も終わりかける今、そんなことがあるのだろうか?
しかしながら、僕には強い拓郎で結びついた友達が日本に散乱している。18歳から二人で拓郎を見続けてきた友達に電話する。そうすると、一枚あまりそうだから、譲るよの声。持つべきものは、友達。それも、彼のチケットは最前列。双眼鏡も何もいらず、拓郎を見れる席である。
よく、たまに、拓郎ファンだというと、えっ!、という顔をされる。それがどういう意味をこめてかは、なんとなく分かる。なんで今更とか、メロディーもあってないようだとか、とにかく分かる。
たぶんこれを読んでいる君もそう思っているだろう。それはそれでいい。
当日、日本で流行っている番組 ”LOVE LOVE 愛してる ”の影響もあっておそらく、若い人も多いんだろうなぁ,,と思っていくとさほどでもない。いるにはいるんだが、でかい顔して目立っているのは、30代から40代にかけてのおばさん、おじさんである。という僕の年齢も完全におじさんなのだが自分の事は棚にあげている。その中で若い人たちが、いるんだけど、結構良い奴の様。これは、最近自分が日本に帰って思うのだが、若い連中の中でも、僕に合わない連中と合う連中の2種類が歴然と存在しているのである。たとえば合わない連中というのは、最低限の礼儀作法を知らない奴である。
ぼくは、こう見えても礼儀作法 2段ぐらいの黒帯を持っている。だから、失礼や無礼な奴はつきあいたくないのである。そして、拓郎のコンサートに来ている若い人は僕に合うと思った。
このことは、コンサートを終わってからいみじくも証明された。拓郎ファンの友達の友達は友達ということで、近くの居酒屋に打ち上げに行ったのだが(客で行って打ち上げもないよな)20才前半の男の子も女の子も、じつに気持ちの良い連中だった。あっ、間違えないで欲しい。決してかれらは敬語なぞ使わない(知らないらしい)。でもいいのである。礼儀作法 2段の僕が言うのだから間違いない。その席で拓郎サークル(日本で一番大きいファン倶楽部)の会長さんと出会えたのもいい機会であった。かれは(偶然だけど、山本さんといいます。)おもしろいことに、斎藤哲夫(拓郎よりも古い?フォークシンガーです。)のマネージャーもやっている。
演奏された曲は、70年代、80年代、90年代とバランスが取れた構成。特に70年代の曲では、”イメージの詩 ”、”ともだち”、”落陽””外は白い雪の夜”が際立っていた。バックの連中は 吉田 健、武部 聡、楠瀬 誠志郎,鳥山雄二、という少しでも日本の音楽情報を知っている人なら知っている、ミュージッシャンであり、プロデューサーである。ドラムもいつも
LOVE LOVE で見るあの兄ちゃん(村石)である。彼らを俗に、LOVE LOVE ALL STARS
と呼ぶ。(初期には 高中正義もいた。)演奏と言う意味では、まぁあんなものでしょう。失礼な言い方だけど、とっても楽しく演奏をしていた。
だから、すっごく楽しいコンサートでこっちまで、うきうきしてしまった。
1979年篠島コンサート、1985年つま恋コンサートと75年を合わせて、僕は3回のオールナイトコンサートを見てきた。そして、それぞれのホールツアーも見てきた。その数々の印象を今思い返してみると、なんであったか?決して楽しいコンサートなんて一つもなかった。
つねに人間は独りだし、帰れる場所なんて自分が今いる場所しかない、みんなで分け合った感動がいつまで続くなんて、誰も知りない。問題なのは、自分がこれから何をしてどうしたいか、そしていかに自由であるかだ。
数知れない、拓郎のコンサートを体験してきて、楽しくてウキウキしかことなんかない。人とコンサートの感想もしゃべるのも嫌だ。どうやって、拓郎から受け取ったパッションを自分の現在に照らしあわせて、また再び一歩そこから歩き始めればいいかばかり考えていた。僕にとって拓郎のコンサートはそういうものだった。
だから、いつも考えていたのは、いかに自分に落とし前をつけれればいいのか。ばっかりだった。
KINKI KID の”全部だきしめて”は拓郎が作った。コンサートのサウンド的には、ここ20年ぐらいそうであるように、ロックである。ベースがかなり目立っていた。あの 健さんの頭やステージうろうろも目立っていたが、音がとにかくでかくて、よくフレーズが動く。ギターは今一つ、存在感が希薄だった。うまいのだが、うまい以上の異常性がないので、拓郎の声にまけてしまっているのである。
昔、バックに青山 徹というギタリストがいたのだが、はっきり言って、拓郎が歌っている時間より弾いている時間が長いような凄まじいギターを弾いていた。
キーボードはバックに徹して実に味があった。そのくせ自分のソロは的確に存在感を出す。うまい。
拓郎は歌詞を聞かないと曲の威力が半減する。決して、曲調が複雑でもなんでもないし、アレンジしてもテクニック的にも何がどう音楽的にすぐれているわけでもない。24年間のファンが言うのだから間違いはない。
CDで音楽を聞くという行為は、写真を見るのと同じである。すぐれたカメラマンによる、芸術的な写真も多々あるように、すごいCDはいっぱいある。モデルにしても、写真で見ると素晴らしい方々もいっぱいいる。
でも、同時に写真より実物がもっと魅力的であることも多いはずだ。拓郎は後者だ。CDでは、魅力はフーンぐらいしか感じなくても、しかし、いったん生きているライブになると、その圧倒的な存在感は下手な技術論なんて吹き飛ばしてしまう。そういったライブを見せ付けてくれるのが、拓郎である。
今回、落とし前をつけようにも、楽しくてつけられなかった。拓郎のコンサートの後に必ず感じていた、焦燥感、脱力感が今回はなく、幾分饒舌になってしまっている自分を見た。
なぜなんだろう?
多分もういいのかもしれない。拓郎は52歳だ。きっと彼は何も考えてないんだと思う。それが、年齢からくるものなのか、テレビに出ていることが原因なのか、それは分からない。
拓郎は、決して客に媚びず、客を突き放すコンサートをやってきた。普通、コンサートは予定調和的な部分があって、必ずお決まりをやるものだ。しかし、拓郎は客が期待していると思うと”俺はそうじゃない、勝手にイメージをつくるな”
とファンを突き放してきた。なんで、そういうことをするのだろう? 客を気持ちよくさせてくれればいいのに、、、、と僕はいつも思っていた。
だからもういいんだろう。拓郎は自然体になるという、落とし前をつけたのかもしれない。つべこべ考えなくなったのかもしれない。それは、こだわり続けた人間の最後の落とし前の付け方が、”自然体”という答だったのかもしれない。だから、もういいんだ。
また、僕は拓郎のコンサートに行くだろう。拓郎がCD作り続ける限り、聞き続ける。僕の精神構造は拓郎の唄によって、かなりの部分作られたことを、僕は自覚している。そして、彼は自然体という、落とし前をつけた。
でも、僕にはまだ、自然体になりきれるだけの度量も何も無い。なんてことだ。
コンサートを出たあとの、うきうきした気分。でも割り切れなかった気分。それがなんでなのか今やっとわかった。いま再び、あの焦燥感が、コンサート後2ヶ月もかかって襲ってきたのである。
伊藤の感想
そう、落とし前をつけて生きて行くことは大切なことです。
まあそれは、さて置き、普通の人が多分知らないミュージシャンの名前についてわたくしが解説を。
ギターの鳥山雄二はマリーンやニューミュージック(死語)のアレンジャーとしてとてもキャッチーな音を作る人で有名だった人。20年前確か学生でありながらギターリストとして出てきたはず。かなり早くからシーケンサーを多用した音作りをしており、またスタジオ系ギタリストとしてもかなりの数を参加。キーボードの武部聡もプロデューサーとしても久保田利伸を売り出した人だし、最近のユーミンのライブのキーボードは必ずこの人です。アレンジもよろしい。楠瀬は何曲かヒットをだしたので知っている人もいるでしょうが、売れない時が長く、その時は阿部安弘(誰もしらねえよな)のバックコーラスをやっておりました。吉田健は大御所。拓郎、中島みゆきと大物のライブでしか最近は見ることができません。むかしはいか天というバンドコンテスト番組の審査員もやっていましたっけ。渋い人です。で、皆さんとっても旨い人なんですけど、拓郎の曲ってそのテクニックほとんど必要ないっていったら怒られる?
01/30/99 17:35:36更新
音楽部