なし 金返せ ★ 一回聞けば必要なし ★★ まあこんなもの ★★★ なかなかいいじゃない ★★★★ これは素晴らしい ★★★★★ こんな音楽に出会えて神に感謝!
| ジャンル/年 | 演奏者 | アルバム名 | 個人的評価 | 感想 |
| WORLD 1993 | LEILA PINHEIRO(vo) | COISAS DO BRAZIL | ★★★★ | あり |
| JAZZ 1999 | 綾戸千絵(vo,pf) | FRIEND | ★★★★★ | あり |
| JAZZ 1999 | KEITH JARRETT(pf) | THE MELODY AT NIGHT,WITH YOU | ★★★★★ | あり |
| CLASSIC 1999 | MAURIZIO POLLINI (pf) | CHOPIN 4BALLADES/FANTASIE/PRELUDE | ★★★★★ | あり |
| CLASSIC 1999 | MAURIZIO POLLINI (pf) | DEBUSSY PRELUDES 1/L'ISLE JOYEUSE | ★★★★★ | あり |
| CLASSIC 1978 | ARTURO BENEDETTI MICHEKANGELI (pf) | DEBUSSY PRELUDES 1 | ★★★★★ | あり |
| CLASSIC 1988 | ARTURO BENEDETTI MICHEKANGELI (pf) | DEBUSSY PRELUDES 2 | ★★★★★ | あり |
| JAPAN 1994 | ESCALATORS | AMMONITE | ★★★ | なし |
| JAPAN 1994 | ESCALATORS | PLANET e | ★★★ | なし |
| JAPAN 1999 | ZOOCO | GROW-MELLOW-FLOW | ★★★★ | なし |
| JAPAN 1996 | PSY.S | TWO BRIDGE | ★★★ | なし |
| JAPAN 1994 | SANDY | DREAM CATCHER | ★★★ | なし |
| BLACK&POPS 1986 | ATLANTIC STAR | SECRET LOVERS (THE BEST OF ATLANTIC STAR) |
★★★ | なし |
たくさん買ってますがこれも日本に帰るとなかなか難しいでしょうか。なぜならやはり香港はCD安いですからね。だいたい一枚100HKドル前後、日本円で1、500円から1、800円ぐらいですから日本の約半額です。だもんでちょいちょいと買っちゃうのですね。安売りもけっこう出物があって、今回もサイズとサンディとアトランティックスターは3枚100ドルでした。嬉しいですね。
WORLD 1993 |
LEILA PINHEIRO(vo) |
COISAS DO BRAZIL |
★★★★ |
ひさしぶりに素晴らしいボサノバシンガーをみつけました。これはヒットです。レイラの歌声は軽いボサノバシンガーが多い中ではすこし重めでしっとりとした歌声。それがなんとも大人の色気なんです。アレンジがまたコンテンポラリーでかっこいい。考え抜かれたアレンジは最後まで飽きさせません。ああ、新しいボサノバなんだと感心しました。飛びきり洒落ていて落ち着いた雰囲気を演出します。流行になってなくてもいいものはいい。多くの人に聞いてもらいたいアルバムです。
JAZZ 1999 |
綾戸千絵(vo,pf) |
FRIEND |
★★★★★ |
やられた。完全に綾戸さんにやられました。凄い!こんなジャズシンガーが日本にいたとは。ソウルという言葉はまさにこの歌声のこと。彼女の声、歌い方、ピアノすべてが魂から発せられるものなのです。ものすごく過酷な人生がありながら(離婚や癌の克服など)、それを一つ一つ噛み締め乗り越えた強さがあります。そして、だからこそストレートに表現される愛がある。これぞソウルなんです。うーん、どんな美辞麗句をならべても聞いてもらうまでこの素晴らしさは伝わらないでしょう。生きるということがこれほどまで歌で表現された最近のCDを僕は知りません。そのぐらいにものすごい存在感のある歌手に出会いました。まだ一月ですが、僕にとってもう今年1番の収穫といってもいいです。
JAZZ 1999 |
KEITH JARRETT(pf) |
THE MELODY AT NIGHT,WITH YOU |
★★★★★ |
いやあ、今月は素晴らしいアルバムにたくさん出会ってしまい大変。このキースじゃレットも最近のジャズピアノのなかでは出色の出来。精神性のとても高い演奏です。ただしインプロぜーションがばりばり出てくるというわけではありません。瞑想のような祈りのような一音一音が魂に触れてきます。しみじみとした味わいが深夜に聞くと胸に迫ります。このひとも年をとって深みを増してきたピアニストです。無駄な音をださず、贅肉を落として必要最小限の音の世界で勝負している姿勢は音の求道者といえます。パットのギターにしてもそうですが、ある高みを目指している人の音はその一音だけで魂を揺さぶることができます。ビルエバンスの晩年もそうですが、深い悲しみや慈愛、祈りというものがすべてその音に凝縮されている。このアルバムはまさにそういうものだと思います。
CLASSIC 1999 |
MAURIZIO POLLINI (pf) |
CHOPIN 4BALLADES/FANTASIE/PRELUDE |
★★★★★ |
CLASSIC 1999 |
MAURIZIO POLLINI (pf) |
DEBUSSY PRELUDES 1/L'ISLE JOYEUSE |
★★★★★ |
CLASSIC 1978 |
ARTURO BENEDETTI MICHEKANGELI (pf) |
DEBUSSY PRELUDES 1 |
★★★★★ |
CLASSIC 1988 |
ARTURO BENEDETTI MICHEKANGELI (pf) |
DEBUSSY PRELUDES 2 |
★★★★★ |
友人の後藤氏がすすめてくれたポリ−ニのドビュッシー、プレリュードを買いに行ったらつい隣においてあった同じくポリ−ニのショパンバラードも欲しくなり購入。しかもそのドビュッシーを聞いているうちに昔レコードで愛聴していたミケランジェリのプレリュード第1が聞きたくなり、さっそく翌日購入。するとそのミケランジェリのドビュッシープレリュード第2がでていることを発見。(1988年に発売されていたことを知らなかった)そのためそれも購入。といきなり4枚も買ってしまいました。反省。でもこの4枚はすべて歴史に残る名演です。これもやられました。凄い凄すぎる。まずポリーニについて。この人は20年前僕が中学生の頃すでにクラシックの世界では大スターでしたが、当時はすさまじいという表現があてはまるほどのテクニシャンでそれをこれでもかという風に高圧的に演奏するピアニストという印象が強かったです。確かにショパンの練習曲や来日した時に聞きに行ったベート−ヴェンのピアノソナタ「ワルトシュタイン」なんか、心に残るというより、心に突き刺さったというような超絶テクニックにただ圧倒されたというだけで情感に訴えてくるものはなにもなかったです。ところが今回この新録音のショパンとドビュッシーを聞いてみるとしっとりと歌わせるところは歌わせ昔のポリーニとはあきらかに違っていました。もちろんテクニックが素晴らしいのは変りませんが、高圧的な表現は影をひそめ光と影をちゃんと弾き分けているようにおもいます。むしろ表現自体はとてもオーソドックスなものをかんじます。ただ、強靭なテクニックがそのオーソドックスな裏に存在するわけですから円熟味を増した素晴らしい演奏になっているのです。先ほども書きましたが、とにかく光と影のごとく音の陰影がくっきりと描かれしかも打鍵の粒だちは他のピアニストに比べて実に際立って鳴ります。ピイアニッシモからフォルッテシモまでの音のダイナミズムのなんてレンジの広いこと。これは巨匠とよぶにふさわしい堂々とした風格を持った演奏です。天才が精進するとこうなるのかといった見本なんでしょう。参りました。
さて、昔愛聴していたミケランジェリはというと、これをオーソドックスとはいえないということがポリ―ニをを聞くことでよく解りました。というのは僕はこのミケランジェリが最高だと思っていたので勝手に自分のスタンダードにしていたのですね。ところが今回あらためて聞くとテンポのゆれやためがミケランジェリは独特なんだということに気づきます。もちろん悪いというのではなく、ミケランジェリの美学がなしえたドビュッシーとはとても個性的なんだということです。それは音色にもはっきりと現れていて、この前奏曲第1、2、それに映像のCDすべてが際立って明るめのクリアな音色にこだわっている。つまり彼が神経質にこだわったのはまずピアノの音そのものだということなんです。一説によるとミケランジェリは専属の調律師がいてその人意外のピアノは絶対に触らなかったといいます。日本でも来日公演の際調律師が病気でキャンセル!ということもありました。とにかくぺタルを使わなくても音が繋がりやすいらしい。僕の知り合いの調律師の話だとハンマーがピアノ線を打つ間隔がものすごく狭くしてあり、(つまり玄高を落としているのでしょう)ちょっと触っただけでポーンと鳴るらしいとのことでした。ですので微妙な陰影が重くならずにつねに明るくクリアに表現することが出きる。また、ぺダリングによって音が濁ることが軽減できるらしいです。そう、ミケランジェリ独特の音がまずあってあのドビュッシーは際立った存在感があるのでしょう。もちろんテクニックも文句の付け所がない凄さなんですが、あくまでもミケランジェリの世界を作るためにすべてが奉仕しているようです。
こう考えるとこのポリーニ、ミケランジェリは両者とも非の打ち所が無い演奏なのですが、あきらかな違いがあります。それはポリーニはドビュッシーがあってはじめてそこにポリーニの演奏が存在する。ミケランジェリはミケランジェリが存在して、その為ドビュッシーが表現形態として存在するということ。もっと解りやすくいえば、ポリーニはドビュッシーの美学をポリ―ニがどう解釈しどう演奏するのかということが中心なのですが、ミケランジェリはミケランジェリの美学がまず大事でそれを表現するためにドビュッシーが選ばれて演奏されるということのように思います。僕としてはどちらの考え方が正しいとは言えませんし、どちらのアプローチにしろ結果存在する演奏の素晴らしさは比較できないものです。まあ、気分で言えば正統的にドビュッシーを味わいたければポリ―ニが現時点のベストのような気がしますし、神の領域に近いような美しさを味わいたい時はミケランジェリということになりましょうか。とりあえず前奏曲第1はこの2つの演奏があれば他は必要無い?かもしれません。
Tuesday, February 01, 2000 4:20:29 PM