高等遊民とは? |
高等遊民と言う言葉を御存知でしょうか。
もともとこの言葉は、夏目漱石が彼の作品である「それから」のなかで、主人公の代助が自分を称して使っています。
代助は親や兄弟の援助で暮らしており、仕事をせず本を読み遊んで暮らしている男です。
但し、最近の遊び人とは違い、彼は信念をもって遊民となっているのです。
「あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れてゐる」
「決してのらくらして居るとは思はない。たゞ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種」などといっています。
もちろん小説の中ではそういってはいられない状況になり、現実との狭間に主人公は立ってゆくことになっていきますが、私はこの言葉が昔から気になっており、しかも今回このページのタイトルに使うことにまでしてしまったのです。
ちょっと大袈裟なタイトルですね。ここでこのタイトルを付けた理由は、けっして代助のように生きようと言う訳ではありません。当然ですが仕事をしないで食べて行ける人なんて普通回りにはいませんよね。
そういう事ではなくこの高等遊民という言葉に私が思うのは
ということなのです。
更に強気で言わせてもらえば
と考えているのです。
これは若い人を馬鹿にしている発言(少しありますけど)ではなく、最近マスコミにのるものはすべてティーンエイジ向けの物ばかりで僕ら(私はガキではなく大人と自分を認識しています)の世界はほとんど表にでないという状況を指しての事です。しかも大人とは年齢ばかりで、精神年齢の低下した大人、もしくは歳をとったガキばかりになってきて、そいつらがまたガキを煽て迎合しているように思えてなりません。
つまり、僕らが大人であるという認識が薄いということと、そのために未成年や大人になるまえの子供たちがあこがれる大人の世界を造っていないということが原因になっているのではないでしょうか。
大人になるということはある感傷を断ち切っていく事かもしれません。また、ある場面ではやせ我慢しなければいけないこともあるでしょう。
しかし、そういうことをしないで、子供の甘さを「私らしさの純真な心」などといって恥ずかしげもなく、開き直っている大人になれないガキを見るのは正直我慢できません。
そんな考えにもし、共鳴してもらえるのでしたら貴方も現代の高等遊民としてこのページに参加してください。
少し、大仰な物言いになってしまいましたね。まあ、実際は肩の力を抜いて本音で楽しめる場所にしたいと思っています。色々な考え、見方を出し合える場になればうれしいです。
ということで高等遊民倶楽部は発足いたします。
1998年10月23日
管理責任者
伊藤 哲
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