少し酔いがまわり、僕は思わず天井を見上げると昔ながらの大きな扇風機がゆっくりと回っている。街市という香港のマーケットの中にある屋台のテーブルの上には、蝦蛄をから揚げにしたものにニンニクを、やはりあら微塵にしたものを炒め揚げしたものがどっさりとかかっていた。コクと苦味がまったくない生力ビールを飲みグラスを置くと、とこぶしの醤油蒸しの皿がその横に勢いよく乱暴に置かれ僕はそれに箸をのばす。
「伊藤さん、僕は食べるの好きよ。これ趣味ね。大陸いたときも食べる時一番うれしいよ。どうここの海鮮、おいしいでしょう。日本人こうゆうところ汚いっていっていやがるけど、ほんとはこうゆうところ一番おいしい。だから伊藤さんもう、日本人じゃないね」
銭サンはそういうと大笑いした。人懐っこい顔で笑う彼は僕とおなじ34歳。この香港で不動産の仕事を奥さんと二人で営んでいる。僕とはもうかれこれ5年のつきあいになろうか。数年前に日本で留学していたことがあり、彼の日本語はとても流暢だ。今回も引越しをしなければならなくなり、銭サンが僕の部屋を探してくれた。
「本当にうまいね。ここの海鮮。最近じゃ鯉魚門も良い評判聞かないし、チムシャーツイの海鮮なんて、このあいだ会計の時レシートよく見たら豆苗の炒め物で200ドルもつけてあったよ。まずい高いじゃもう海鮮料理屋もおわりだよね」
「そうそう、伊藤さんね、料理はお金じゃないね。本当に美味しいものはお金持ち食べれないよ。だってそうでしょ、ベンツにスーツでこんな屋台これない。僕の田舎凄く貧しかったけど、美味しいものあったね。もちろんお金持ちの人は知らない。山の中だからね。」
「へえ、山の中ってどこ?そうか銭サン、大陸で生まれ育ったんだよね。広州の付近なの?」
「違う違う、成都の近く。成都しってる?四川省ね。料理みんなとても辛い。この間6年ぶりに田舎帰ったの。そうしたらね友達、皆、胃薬持ってきたかって言うね。毎日食べてないと胃が慣れないから、たまに食べると必ず痛くなって病院行くね。そう今回もちょっと痛かったけど大丈夫よ」
屋台の周りのテーブルはもう、満杯の状態だ。ビールをプロモーションの為に持って薦めている女の子がせわしなく近くのテーブルとテーブルの間を行き来している。
急に日本で暮らしていた頃に見たテレビで、成都にある麻姿豆腐の発祥の店というのを特集していたのを思い出した。その店の麻姿豆腐はものすごく辛いらしく、スタッフが一口食べてその後全く箸が止まってしまい苦しそうな表情をしているその横で、まだ2歳ぐらいの子供がお母さんからその真っ赤な麻姿豆腐を口に入れてもらっていた。そうか、その土地で生まれて暮らすとはこういうことかもしれないなとその時思ったものだ。
香港の7月の後半といえば外をちょっと歩いただけでシャツがぐっしょりと濡れて、高い湿度と温度の中頭がくらくらする、そんな時期である。しかし、街市の中も最近はかなり衛生的になり、屋台のあるこの階も冷房が寒いぐらいに効いていた。
「そう、僕の田舎ね、昔とても貧しい。だから肉なんていつも食べてはいないよ。一年で一度、お正月の前に飼っている豚、殺すの。お父さんがね。その時とても嬉しい。ほんと嬉しいよ。だって、ご馳走だから。お湯たくさん沸かしてね。皮と毛を毟り取って洗ってね。肉の半分は売ってお正月の準備に使う。そして半分は塩漬けにして少しづつ食べる」
「保存食なんだね。でも家族みんなで一つのことをして、それを楽しみながら年を越すなんて素晴らしいよ。日本も昔は同じだったと思うけど、最近はそういうことが少なくなった。これってとても僕はつまらないと思うのだけど」
銭サンは眉間に皺を寄せてもっともだと頷く。
「僕の田舎もだんだんそういうこと無くなってきたみたいよ。なぜなら若い人皆、都会に働きに出て田舎に帰らないから。僕はお母さんと一緒に暮らせているから幸せかもね」
ああ、そういえば僕も海外で香港という都会に働きにでているのだったな。考えてみるとと日本の正月は香港では休みではないために、もう5年も帰ってはいない。急に日本の正月が懐かしく感じ、心の奥が疼いた。
「伊藤さんは豚の刺身たべたことある?」
「えっ、豚の刺身って生で?ないよ、だって危ないじゃない。大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ」
銭サンはまた大笑いしている。
「豚ね、生、とても危ないね。でも背中のある部分の肉、生とてもおいしい。ほんと刺身、とてもおいしい。だから危ないけど食べるね。田舎の人、食べる。山椒、唐辛子、胡麻油、香辛料たくさんつけて食べる。運良ければ大丈夫。悪いと病院行く。何週間も寝るよ」
「そりゃそうだよ。無茶するなあ。銭サンも食べたことあるの?」
「私、食べたこと無いよ。危ないから」
「おいおい、なんだあ。でもそういえば本で読んだけれど、日本でも無菌で育てられた豚は生で食べることが出来て、むちゃくちゃ美味しいらしいって。そんな豚ならミディアムレアに焼いて食べるのもいいかもね。まあ、美味しいもの食べる為にはリスクも必要って訳だね」
屋台に囲まれた広場に粗末なプラスチックの円形テーブルと椅子が所狭しと並べられている。会社帰りや近所の人々が集まっていると思われる中、香港特有の大声での会話が各テーブルから発せられ、それが一つの集合体のごとく大きなうねりとなって高い天井に昇っていくようだ。次第に酔ったせいもあり僕の声も大声になる。
銭サンも少し酔ってきたみたいだ。赤くなった顔で大きな目を見開き僕に向かって話しかけてくる。
「さっきのお正月の豚ね。骨、余るでしょ。これね大きな鍋で煮るね。このぐらいある大きな鍋よ」
彼は両手一杯に広げてその大きさを示す。ちょっと大きすぎないか?と思ったが釣り人と酔っ払いはそんなものである。僕は大げさに頷き話しの続きを促す。
「その鍋の中にトマトたくさん入れる。山ほどのたくさんのトマト。真っ白なスープに赤いトマト、きれいきれい。ずっと煮るね。2日間ぐらい。味付けはお塩だけ。でもとてもおいしい」
「あっ、それ豚骨スープじゃない。そりゃ美味しそうだなあ。トマトっていうのが結構いけそうだね」
「でもすぐ食べちゃだめよ。ええっと、なんて言う?焼いて作った大きな入れ物、そうこのぐらいある大きなのに、そのスープ全部入れる」
また両手一杯広げて大きさをあらわしながら銭サンは僕に聞いてきた。
「ええっと、カメのことかな」
「そうそう、カメ、大きなカメにそのスープ全部入れる。そして次の日飲む。また次の日飲む。だんだんおいしくなる。1週間立つとすっぱくなってとってもおいしいね」
「それ、腐ってるんじゃないの?まあ発酵食品とも言えなくもないが.....」
「そうちょっと腐ってるね。でも食べられなくなるちょっと前、一番おいしい。たまにおなか痛くなるね」
「そりゃそうだわ。でも腐る直前がうまいっていうのも、古今東西ある話しだよ。フランスでも鴨や雉は殺してから数日たってやばくなる直前に料理するのが一番ってことらしいしね。それにしても銭サンの田舎の人って食いしん坊なのか無茶なのかわからないよ」
嬉しそうに笑う銭サンはグラスを持ち上げて乾杯のポーズをし、僕に飲めと促す。自分がこの場所にまったく違和感無く溶け込んでしまっているのを、ちょっと不思議な気持ちになってもう一人の自分が見ている。一瞬目をつむる。
人生とはわからないものだ。ある時点での選択が違えばこの今をもしかすると東京の居酒屋ですごしていたのかもしれない。僕は今、本当はどこにいるのだろうか。この目を開ければ前には東京の友人がいるのではないだろうか。
ゆっくりと目を開けぼんやりとした頭で確認すると、そこには心配そうな銭サンの顔があった。
「大丈夫?酔っ払っちゃった?」
「ああ、ぜんぜん大丈夫。ちょっと考え事しててね。ごめんごめん。ところで銭サン、そうとう食べるの好きみたいだけれど、生まれてから今までで一番美味しかったものってなに?」
銭サンはしばらく腕を組んで考えてから話し出した。
「わたしのお父さんね、お医者さんだったね。私ね3歳から6歳の頃文化大革命で家族で田舎に行かされたよ」
「それってシアファン(下放)のことだね」
「そうシアファンでね。お父さんお医者さんだから田舎行かなければならない。成都から雲南省にいったね。昆明からずっと歩いてね、何日も何日も歩いて山越えて山の中の貧しいところね。そこで3年住んだよ」
毛沢東がおこなった政策の中で最大の汚点であり、中国の発展をを何十年も遅らせたもの、それが文化大革命である。この時期、その文化大革命を先頭をきっておこなおうとした若者達は無意味な政策の為に学業を放棄し知識や歴史を馬鹿にし文化を踏みにじり、両親を告発した。人間の尊厳を根底から奪った政策、毛沢東はこの血迷った政策により歴史上偉大な革命家の地位から転落したといっても過言ではない。下放政策とは文化大革命で槍玉にあげられた知識文士達、学者、学生、医者などの人間に都会から田舎で労働することを義務付けたものである。つまり、ブルーカラー的労働が主体であり、知的労働というものを否定したことで、この時期若者であった世代が、後にまったく社会で通用しないという状況が露呈する。
銭サンの父親もその犠牲になった一人らしい。
「わたしとお父さんとお母さんと妹の4人で何日も何日も歩いて、とても辛かった」
「そうか....。お医者さんだったら当時は風当たりが強かっただろうね。銭サンも文化大革命、経験しているのか」
「でもね、わたし子供だからあまり憶えていないよ。お父さんやお母さん、その時の話、いやな顔するね。わたしは後でそのことの意味知ったけれど、その時はぜんぜんわからないよ」
銭サンは困ったような表情をして僕を見た。そうだろう。そのことが一番身体に染み込んでいるのは彼の父、母であり、彼ではないのだ。ただ、その後に中国でも文化大革命の間違いについて散々回顧し、反省しているのだから、当然彼も事実として知ってはいる。しかし正直な彼は自分の感情にリアルなその時代が希薄なために困ってしまうのだろう。
「わたしね、ほんと食べるの好きだっていうのは、子供の頃からね。シアファンが終わって成都に帰る時、ものすごくおいしいもの食べた。わたし6歳の時ね」
「へえ。その時食べたものが今まで食べたものの中で一番美味しいものなんだ?」
「そうよ。故郷に帰るときね。また何日も何日も歩いて山越えたよ。ある時ね山の中泊まったの。小さな村あったね。その頃、お医者さん田舎ではとても人気あった。小さい子供とか、お年寄りとか皆、お父さんのところに来て診てもらうね。だから、たいてい宿と食事困らない。そこのご馳走必ず出してくれるよ。その時すごく食べた。今でも忘れないよ」
「じらすねえ、何食べたの?教えてよ」
銭サンまたニタニタ笑いながら大きい目で僕を見つめてくる。
「魚。大きな魚。名前はわからない。でも大きな魚。村の人、近くの川で取ってきて料理してくれたね。かぼちゃの葉。大きなかぼちゃの葉、何枚も何枚もね。下に大きな葉、上にその大きな魚。そして山椒、唐辛子、油、酒、醤油、葱、生姜、いろいろな香辛料。載せるね魚の上。そしてまた葉。包む。それを火の上に吊るして焼くね。出来たら開くよ。わたしね、いまでも思い出すの。ほんとおいしい。すごいよ。あの魚ほんとおいしい。妹と一緒にたくさん食べた」
銭サンは目を細めながら力をこめておいしいを繰り返した。
「わたしね、文化大革命、お父さんに悪いけれど一番の想い出ではその魚ね。わたし子供だったのにその魚いまでも夢にでてくるよ。あんなにおいしい魚あれから食べたこと無い。もう一度食べたいよ。わたし、もう一度絶対、食べたいと思っている。だからね、シアファンも辛いことよりそのことのほうが想い出ね」
僕はその時、一人頷いていた。銭サンにとってその魚との出会いは一生に一度の貴重な出会いだったのだろう。シアファンという、自分の力で選択できない流れの中でも人は新たな経験と出会いを繰り返して行く。
今、僕は街市の中の屋台のテープルで海鮮をつまみながら、銭サンの話しに耳を傾けている。
思えば数ヶ月前、いろいろなことに嫌気がさし日本に帰っちまおうかと本気で思った。組織を抜けこの地で3年間がんばってきた自分が、急に不安でいっぱいになった。あのとき、僕は選択を間違えたのではないだろうか。何度も同じ事を問いかけて頭を振る。怖気づきそうな気持ちで、ネガティブに入っていた。
結局、日本に帰れなかった。いや、今は帰るわけにはいかなかった。なぜなら、まだ成功も失敗も自分が納得する結論を得ていなかったからだ。そう、僕もまだ、幻の魚を諦めたわけじゃない。いいじゃないか、こんな気持ちになれる自分も。香港に残ってよかったな。心からそう思った。
「伊藤さん、そのうちその魚、いっしょに探しましょう。伊藤さんも食べるの大好きだからね。ぜひ、いっしょに雲南省、いきましょう。いいね、いいね」
幻の魚か。銭サンの笑顔を見ていると本当にいつか見つかるような気がしてきた。
銭サンにむかってまた乾杯をし、気持ち良い酔いとともに心の中で自分の未来に一人、僕は同じようにグラスを挙げていた。
伊藤 哲
08/15/99 23:45:49