(きのまぐろ)
「これ、今朝近くの漁港で揚がったばかりの鮪の刺身です。このところ海が荒れていて、今日皆様におだしできるか心配だったのですが、よかった。さあ、どうぞ」
控えめな態度の板前が僕の目の前に、四切れほどの綺麗なピンク色に光る生の鮪を置いた。
北陸の秋はもうすぐ終わろうとしており、あと2、3週間もすれば雪景色になるに違いない。
張り合わせではないみごとな一枚板でできている分厚いカウンターに僕は冷酒のグラスを置き、その鮪の中トロ一切れを箸でつまんだ。
口に入れた瞬間、なんともいえない優美な甘さが旨みとなって流れ出す。噛みしめるたびにその脂がのっているのにもかかわらず、むしろ清涼感さえ覚える味がひろがる。
これはまさしく冷凍ものではない生の鮪だ。冷凍ものに時々感じる生臭さは微塵も無い。同じ鮪とは思えないほど、とろけるような食感と凝縮された強い香を持ち合わせている。
ここの地酒である菊姫がまた、実に良く合う。
思えば先週までは香港に、僕はいた。五年という月日が海外ですでに流れていた。久しぶりの日本は懐かしく、それでいてどこか自分と母国には、ずれが何時の間にか生じてきているらしかった。
そう、五年前の僕と今の僕は明らかに違ってしまっている。もちろんどちらがいいのかはわからない。ただ、わかるのはもう、その時の自分には戻ることはできない、それだけである。
生の鮪をつまみながら、ふと信ちゃんのことを思い出していた。香港に商社の駐在員として旅立つ前日、僕は信ちゃんと山中湖で開かれていたジャズフェスティバルを聞きに行っていたのだ。その夜遅く信ちゃんと彼の彼女である澄子さんに再会の約束し、僕は一人箱根の山を車で降りていった。結局、それが信ちゃんとの最後になるとはその時は思いもしなかったのだが。
信ちゃんの店であるカインドオブブルーは、新宿ゴールデン街の店の中でも料理が特に美味いというので、知る人ぞ知る店であった。ゴールデン街というところは大半が飲み屋で、つまみも乾き物ぐらいしかない店が多いのだが、信ちゃんの所だけはいつもカウンターに大皿を並べ、店の外観からは想像できない凝った料理を出していた。
その当時、僕はサラリーマンになって三年目、ようやく一人前に仕事をするようになり、海外出張にも頻繁に行くようになっていた。ただ、それと共に組織のしがらみもだんだんとわかってきて、やるせない気持ちとくじけそうになる心を抱えながらの毎日であった。
そんな僕にとって慰めになっていたのが新宿ゴールデン街の飲み屋である。最初は人に連れられて行ったのだが、在る時ふらっと初めて行ったその店に一人で寄っていた。一見の客を断る店が多い中、幸いその店のママが僕を覚えてくれていて気持ち良く飲ませてくれた。客は僕の仕事の世界とは違い、マスコミ関係、出版関係の人が多く、背広を着てネクタイを締めていたのは僕とN新聞の記者だけという、今思えばやはりちょっと排他的な場所であったと思う。それがその時はなにか、誇らしい感じもしたのだろう。
しだいに僕は会社の上司の誘いを適当に断り、その店に入り浸るようになっていった。そこにはアホな上司の説教は無く、同僚の答えの出ない愚痴もない。見知らぬ人であってもストレートに思っていることをいえる場所である。
いや、僕は当初、組織の人間という匂いがあったのだろう、ママや客によくからまれ、怒られたものだ。つまり、本音でしゃべりなさいよ、ということをよく言われた。自分ではそうしているつもりでも、サラリーマンとしての生きかたが染みこみ始めていたようで、かみしもを着てしゃべっているみたいだったらしい。
ママに
「あんたもようやく仲間になってきたじゃない」
と言われたのは、通いだして一年もした頃だろうか。
そんな頃、ママの店の常連でジャズ好きのおじさん、土屋さんに信ちゃんの店に連れていかれた。土屋さんはテレビ局のプロデューサーなのだが、ジャズが好きだということで意気投合し僕をけっこう可愛がってくれ、六本木のジャズバーを何軒もはしごし(当然すべておごってくれた)そして、最後にはタクシーで僕の住む上板橋まで送ったあと自分の家がある多摩川の方面に帰って行った。
土屋さんが連れていってくれた日は、確か信ちゃんと僕はたいした話をしなかったはずだ。何杯か飲んでいつものように土屋さんが六本木に行こうと言い、すぐに店を出たからである。
それから何日かして、僕は信ちゃんのところに顔をだした。ママの店の口開けの客(その日一番目の客を飲み屋ではそう言った)になろうとして早く着いたのはいいが、店はまだ開いておらずそれで、信ちゃんのカインドオブブルーに行くことにしたのだ。
信ちゃんはカウンターの中でひとり、料理を作っていた。ちらっと顔を上げると
「いらっしゃい」
と一言いったまま、うつむきだまってしまう。
僕は軽く挨拶してカウンターにすわり、ビールを注文すると
「はいよ」
とまた一言でだまり、すっとビールとコップが出てきた。
普通こんな店に一人で入ったら落ち着かなくてすぐに出たくなるのであろうが、さすがに僕もゴールデン街に一年近く通っているのもあり、この手の対応には慣れていた。
だいたい、この界隈で商売している人も飲んでいる客もシャイな人が多いのだ。だから、ここに来て酔っ払って、ずぶずぶになって初めて自分がだせたりするわけで、口開けの客は皆無口なママやマスター相手に静かに飲むのである。その頃、僕はそんな飲み方が好きだった。だまってその店の最初の客になり、掃除された一応きれいになっているカウンターで、まだタバコでいぶされる前の空気とかび臭い店に滞留している空気が混ざりあっている中に身を置くのが気持ち良かった。ときおり、ママとぽつぽつと会話し、そしてまた、グラスに手をのばす。
信ちゃんは僕がしばらくビールを飲んでいると、ふと思い出したように話しかけてきた。
「なにか食べる?今日は南蛮漬けがうまいとおもうけど……」
「そう、じゃあそれもらおうかな」
「はいよ、ところで修ちゃんの兄さんだろ、土屋さんに聞いたよ。この間修ちゃんも来てくれてたよ」
「ああ、弟も来てるんですか、それはどうもお世話になります」
僕の弟もその頃はゴールデン街でよく飲んでいて、たまに出会うこともあった。
鯵の南蛮漬けは評判どおり、確かに美味かった。そんじょそこらのぼやけた居酒屋の味ではない、しっかりした美味さがそこにはあった。
「美味いですねえ、まさか、失礼だけどゴールデン街でこんな味に出会うとは思わなかったです。魚もいいもの使ってますよね。僕、海の近くで育ったものだから魚の味は判るもので」
「そうなんだよ。俺、凝り性だからさあ、こんな夜の商売やってながら、どうしてもいい魚がほしくて、朝、築地に行って仕入れてくるんだ、へんだろ」
なるほど、そりゃあ、美味いはずだ。でも、誰がゴールデン街という場所で、築地で仕入れた新鮮な魚が食べることができると思うだろう。
「ところでマスター、さっきからかかっている曲、WHAT'S GOING ON だと思うんだけど、マービンゲイじゃないですよね、僕詳しくないんですけれど誰なんですか?」
「おい、マスターは止めてくれよ、みんな信ちゃんって呼んでる。そう、この曲な、これがいいんだよ。ダニ−ハサウェイっていってね、マービンゲイが流行っていた時と同じ頃歌っていた歌手さ。不幸にもその後の音楽シーンについて行けなくて自殺したんだけど」
「じゃあ信ちゃんって呼ばせてもらいます、今自殺って言ったけど、マービンゲイも実の父にライフルで頭ふっとばされて、今はこの世にいないよね」
「そう、だからというわけでもないけど、この時代のソウルシンガーは胸にしみるんだ、なんていうか、シャイでやさしくて、それでいて熱い物を胸に持っているっていうか。よかったらこのテープ貸してやるぜ」
僕はこの日、信ちゃんと音楽の話で盛り上がり、何品かのつまみに舌鼓を打ち、めずらしくママの店に寄らずに家に帰った。
頑固だけれども、それこそシャイでやさしくて、胸に熱い物を持っている男、信ちゃんがまさにそんな人に思えてちょっと嬉しかった。いい店、みつけたな。次はいつ行こうか、もうそんなことを考えながら家路についた。
それからというもの、僕は週にママの店と信ちゃんの店を交互に行くようになっていた。いや、もしかすると信ちゃんの店の方に多く顔をだしていたのではないだろうか。
信ちゃんは僕より10歳年上の37歳なのに、普段、会社で会っている37歳ぐらいの人達にみられるような保守的な感じがなく、若々しくカッコ良く僕には映った。ジャズが大好きで、店にはいつもモダンジャズが鳴っていた。僕はよく、信ちゃんからCDやテープを貸してもらい、次のときに感想を話しあったものだ。
しだいに僕を弟分のように可愛がってくれるようになり、僕も兄のように慕った。
信ちゃんはときどき僕に漏らした。
「俺もさあ、いつかこのゴールデン街をでてちゃんとした店を持ちたいんだよ。だから、いつまでもこんなことやってちゃいけないんだけどな。とりあえず、ニョウボとガキ食わせなきゃいけないしさ。でもいつかやるぜ。そのときはその店にきてくれよな」
このセリフが出るときはいつも、信ちゃんはべろべろに酔っ払っらってカウンターの中で眠りそうになりながら、つぶやくのである。
僕が帰ろうとする頃にはすっかり寝てしまい、そんな時は静かにカウンターに千円札を何枚かおいて店をでた。
店には時々、信ちゃんの代わりに信ちゃんの奥さんである春さんがでていることがあった。
春さんはきもったま母さんといった感じで、やせている信ちゃんとは対照的に巨体といってもいい身体でカウンターの中に入っていた。昼間はパートの仕事かなんかをしているらしかった。来るときはまだ、ちいさい男の子をその巨体の背中にに縛り付けるようにおぶって、店のせまい階段をあがってきた。
傍目から見て、信ちゃんと春さん、そしてその男の子という構図は生活は貧しくても、とても幸せに見えた。信ちゃんが立っていたカウンターの後ろには祭りのはっぴを着た春さんと子供の写真が飾ってあり、信ちゃんはときどきその写真を眺めていた。
すかっり僕も常連といってもいいぐらいに頻繁に顔をだすようになると、信ちゃんは僕にむかってよくこんなことを言った。
「実はさあ、メニューに載せてないんだけど、特別にいいものだしてやるよ、ほら、これわかるかい。関鯖っていってな、酢でしめなくても刺身で食べられる、いい鯖なんだ」
そのころ関鯖がどんな鯖かも知らず、その美味さに感激したのを思い出す。そんな高級な刺身を食べながら恐る恐る、信ちゃんにいくらかと聞くと、
「おまえから高い金なんてとれるかよ、2、000円でいいよ」
と軽く言って笑っていた。
生の鮪を生まれてはじめて食べたのも、信ちゃんがそんな風にしてだしてくれたからだ。
「今日はさ、築地に上物があったんだよ、普通の客にはださねえけどよ、とうぜん食べるだろ、生の鮪。冷凍ものじゃないんだぜ、これ食ったら冷凍の鮪なんてとうぶんの間食えなくなるかもしれないけどさ、美味いぜ」
「信ちゃん、いいけどさあ、これはさすがに高いんだろ、無理しないでちゃんと勘定つけてよね」
「おう、一皿3、000円もらうぜ、悪いな」
悪いのは今にしてみればこっちのほうだ。生の鮪が3、000円で食べることができるわけが無い。それも10切れぐらいあったはずだ。もしかすると、僕に食べさせたくてそんなものを買ってきてくれていたのかもしれない。それを思うと少し胸が痛む。
信ちゃんは、僕が美味い美味いと言うたびに、頷きながら目を細めていた。そういうのが好きな男だったのだ。
その時食べた生の鮪の味は忘れることができない。もちろんそのものの味だけでなくその時の僕の状況、信ちゃんの店での空気、すべてが作用して忘れることのできないものになっていた。
その頃の僕は、いやみで陰険な部長と真っ向から対立するはめになり、そのため、憂鬱な日々を昼間は過ごしていた。もちろん文句をつけられることの無いよう、数字は絶対に落とさないように一生懸命外を回った。しかし、そうすればするほど、反感をかったらしく、なにかにつけわけのわからないプレッシャーを与えられた。
そんな僕にとっての唯一のオアシスがゴールデン街だったのだ。昼間のことも会社のしがらみも、ゴールデン街にはもちこみたくなかったし、その頃には、僕は自分の世界を分けて考えることができるようになっていた。むしろ、そのもう一つの世界があることで、ずいぶん救われたように思う。家路に帰る頃は、ちゃんとエアチェンジができていた。もし、あれが上司や同僚と、会社の延長で飲みに行って毎日帰っていたらそうはいかなかったはずだ。
その救い、大仰にいえばその当時、ゴールデン街やそこでの友人、信ちゃん、ママは僕にとっての孤独な魂の救済になっていた。生の鮪の味には美味さといっしょにそのほろ苦さも残っているために忘れられないものになっているのだろう。
信ちゃんの店の常連として、ある頃からひとりの女性の名前があがるようになった。
澄子さんは20代後半の保母さんで最初友人と一緒に来ていたらしいが、次第に一人で来るようになっていた。僕が顔を出すと、信ちゃんと澄子さんがカウンターを挟んで話している姿をよく見るようになった。僕も澄子さんと話を時々するようになっていったが、今思い出しても、何を話していたのかがよく思い出せない。つまり、そのぐらい、たわいないことを話していたのだろう。それに後になってみればそうかとおもうのだが、信ちゃんの手前、どこかに遠慮していたらしい。僕はどうもそういうところが潔癖症らしく、澄子さんがいると長居せずそそくさと引き上げ、ママの店に場所を変えていた。
そして、どこからか、噂であの二人ができているらしいと聞いた。しょうがねえな、信ちゃんも。僕はどうせただの遊びだろうとあまり、気にもとめなかった。
その頃からだろうか。信ちゃんが泥酔してカウンターの向こうで寝ていることが多くなっていったのは。まだゴールデン街では時間が早い11時ごろにすでにべろべろに酩酊して寝ているのだ。
12月には入り、そろそろコートが必要だなと思うような冷え込んだ夜、12時を回った頃に僕がカインドオブブルーを覗いてみると、案の定信ちゃんはカウンターの向こうで酔っ払って眠っていた。
「信ちゃん大丈夫か?身体に良くないよ、もう店閉めて帰ったほうがいい」
と僕が言うと
「ああ、おまえか、適当にビールでもだして飲んでってくれ。正直言ってつれえな。金はいつまでたってもできねえしな。俺はだめだよな。おまえはがんばれよ………」
と言いいながらまた眠ってしまう。
何時の間にか僕しかいない店に信ちゃんのいびきだけが響いていた。僕はなにか、いたたまれなくなって、そっと席を立った。静かに階段を下り、コートの前を合わしてゴールデン街の路地をまっすぐ歩いた。ふと、後ろを振り向くと、澄子さんが信ちゃんの店の下にひっそりと立っていた。
それからしばらくして、僕に香港駐在の辞令がでた。
あのいやみな部長がわざとらしく、
「俺は君を手放したくなかったんだが、社長がどうしても君だというんでな。俺の力不足だ。すまん」
と言った。
僕は心の中でそいつに唾を吐き、ふざけるなよ馬鹿野郎とどなっていた。でも一方で、これで救われたのかもしれないなとも思っていた。
土屋さんと信ちゃんが僕の送別会を兼ねて毎年恒例の山中湖のジャズフェスに行こうと言い出した。ちょうど僕の出発の前日がそのコンサートの初日だったのだ。たぶん両親に怒られるな、と思ったが、結局僕が車を前日にだして、信ちゃんと澄子さんをひろって箱根に行くことにした。土屋さんは直接現地集合である。
コンサート前日の夜、それは蒸し暑い盆明けの8月、僕は実家である葉山から新宿に車を持ってきた。とうぶん信ちゃんの店にも来れないな。そう思い、通いなれた階段をあがる。澄子さんが先に来て飲んでいた。澄子さんは一度、家に帰って明日僕が車で拾って行くことになっている。
彼女が帰った後、信ちゃんと二人で飲んだ。今晩は信ちゃんの家に泊めてもらうことになっている。
「信ちゃん、いろいろありがとう、また帰ってきたら寄るからさ、元気で店開けててよね」
「おう、でもなその頃はもう、ここたたんで他で店やるかもしれないしな。おまえその開店祝いには帰ってこいよ」
「もちろんだよ、その店にはさあ、ピアノとドラムセットもおいてさ、ときどきジャズのセッションもいれようよ、そして信ちゃんの料理とお酒がでてさあ、いいよね、そういう店」
「馬鹿、その前に金出せ、そうしたらいつでもやってやるよ」
「よし、僕が香港で一発当てて稼いで帰ってくるか。じゃあ、その店に乾杯しよう」
「おし、乾杯!」
その晩、信ちゃんの家で寝た。そこは六畳と四畳半に台所がくっついただけの安普請のアパートだった。ふすまには子供の落書きがいたるところにあった。僕はふすまで仕切られた四畳半に寝ながら、向こうの六畳には春さんと信ちゃんと子供が寄り添うように寝ているのかと思うと胸が痛んだ。これなら無理して早朝出てくれば良かった。なんともいえない切ない気持ちが胸を包んだ。そして、熟睡できずに朝を迎えた。
香港での生活に慣れ、数ヶ月が過ぎようという頃、弟から電話があった。
「兄貴、信ちゃんのこと知ってる?兄貴仲がよかったからさあ、言い辛いんだけど、信ちゃんさあ、澄子さんといっしょに春さんと子供捨てて逃げちゃったんだよ。ひでえよなあ。今、春さんが店開けてるんだけど、気の毒で飲みに行きにくいんだよ。たぶん帰りを待ってるんだよ、それにしてもやっぱりひでえよ、なあ兄貴さ」
その一年後、一時帰国した僕は、信ちゃんの店の下から、カインドオブブルーの看板を見た。ニ年前のあの晩とおなじように底冷えのする12月の深夜だった。カインドオブブルーの明かりは消えドアには店を閉めることを詫びた文面が貼ってある。僕はしばらくそこに立ち続け、信ちゃんも春さんも澄子さんも、そしてあの時のカインドオブブルーのすべてが消えてしまったのを理解した。
そして僕はつぶやいた。
「みんな、馬鹿野郎だ」
「どうです、日本海であがった鮪は。やはりちょっと冷凍ものとは違うでしょ。実際、いつも揚がるとは限らないから心配だったですけど皆さんは幸運ですよ」
看板の灯が消えあの店も人手に渡ってしまった今、信ちゃんはどこでなにをしているのだろうか。それはそれで幸せなのだろうか。
春さんと子どもを捨てて、逃げてしまったことは許されることではないだろう。でも、もし信ちゃんがまた、料理を作ってカウンターの向こうから目を細めながらお客を見ているのだとしたら、僕は幸運をつかんでほしいと願うしかないのかもしれない。
あの晩からもうすぐ、五回目の12月が来る。
そう思いながら、最後の一切れを箸でつまんだ。
伊藤 哲
05/10/99 20:17:58